■はじめに
現代はすべてが科学的合理的精神に支配されがちな時代である。何かが起こればそれは科学
的に証明できるかどうかが判定基準となる。科学的に証明できなければすべては否定される。取
り上げられた内実は削除され時代の外に葬り去られる。私たちが営む現代詩もそのような精神的
土壌の中に囲みこまれているのではないか。このような状況下で果たして豊かで魅力的な詩作品
が生まれるのか。それは、以前からわたしの内奥に疼きつづける苦渋の問いである。
その問いに答えてくれそうなのが、同郷の詩人金子みすゞともいえる。金子みすゞについては、
すでに語りつくされている感があるが、ここでは新しい観点からさぐってみたい。
■豪雨を読んだ金子みすゞ
二〇〇四年四月、私は両親の法事のため、家族と帰郷した。その際、念願だったみすゞ記念館
を初めて訪れた。その帰途、みすゞの町仙崎に住む姉と一緒に近くの料理屋で食事をした。食事
が済み、三人で外に出ると姉が「いつの間に雨が降りよる」と言う。食事中は殆ど降っていなかっ
たが、歩き始めたその途端に凄い豪雨となった。慌てて傘を広げれは墓標の苔をそぎ落とし、み
すゞ銘を浮き上がらせ、矢崎氏を感動させた、あの語り継がれる神秘的な豪雨のことである。
その豪雨のすさまじさに傘も全く役に立たず、私たちは横殴りの雨に叩きつけられた。手提げバ
ッグに入れていた新しいビデオカメラの液晶が故障するほどだった。それは私たちを待ち伏せし
たとしか思えないほどの異様な現象だった。
当地では死者が喜び歓迎すると雨を降らせるという言い伝えがあるという。そういえば、私の父
が生前、うちの家系は金子みすゞ家と親戚にあたると言っていたことを思いだしてた。その家の
娘りんがみすゞの祖母にあたるのだ。そんなことから私の墓参をみすゞが喜び豪雨を降らせた
のか。死者が雨を降らせる現象を私自身も幾度も体験している。このことは何度も記しているの
で、割愛するが、金子みすゞと豪雨といえば、みすゞの発掘者矢崎節夫氏を襲ったものが最初だ
ろう。氏がみすゞと親しかった人を集めテープレコーダで収録を行った際の豪雨である。それは金
子みすゞの墓の墓碑銘の苔を削り取り、みすゞの名前を浮き上がらせた神秘的な豪雨である。そ
の豪雨によって矢崎氏も知らなかったみすゞの墓の所在を突き止めたのだ。
もともと風雨も小石も動物も人間存在も 全てが「原子核」からできている。その原子核を構成
する中性子は「意識」である。つまり万物に意識が溢れていることになり、どこで異様なことが起
こっても不思議はないのかもしれない。たぶん異様な悲サイエンス的な事象も近い将来、証明
されることになるのだろう。
しかし実はその科学自体も危うさを包容 している。新たな発見や証明により事実が事実では
なくなり日々変容していくからだ。しばしば使用される「科学的に見ても正しい」という論理基準が
いかに不合理で危ういものであることが判るだろう。
■私が私を食べる詩「お魚」について
金子みすゞの、よく知られた作品に「お魚」がある。
お魚
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われている、
鯉もお池で麩を貰う。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。
それでも私たちは何かを規範にしなければ暮らしてはいけない。そのことからすると当面「科学
的」がその規範となるしかないだろう。しかし、重要なことはその規範があくまでも「当面・一時的
」なものであり、恒久的に文学や芸術界を支配してはならない。批評することは、そのような厳し
い範疇を厳守すべきだろう。
従って安易に「科学的」という語句を使用してはならない。特に金子みすゞの世界を論ずる場合に
は「科学的に」という規範は厳禁である。みすゞの世界は「非サイエンス」の世界なのだから。それ
はみすゞの場合だけではなく、今後、様々な文学作品もこの見地から再評価されるべきではない
かと私は思っている。そうすれば過去の構築された日本の文学史も再構築され、さらに魅力的な
新たな文ほんとに魚はかわいそう。
私たち人類は生き物を食べなければ生きていけない。そこには人間存在そのものが生まれな
がらに孕む「罪」の意識を表現しているように受け止められる。確かにその解釈は正しいし、正
当な評価である。しかし、この作品はそれだけでなく、さらに深い奥行きを孕んでいるように思う。
そのことは、次の作品「私」を重ね合わせてみると何かが見えてくるだろう。
私
どこにだつて私はゐるの、
私のほかに、私がゐるの。
通りぢや店の硝子のなかに
うちへ帰れば時計のなかに、
お台所ぢやお盆にゐるし、
雨のふる日は、路にまでゐるの。
けれどもなぜか、いつ見ても
お空にや決してゐないのよ。
「どこにだって私はいる」とは何か。たとえば、みすゞが雪、時計、小鳥、魚について書くとき、ま
ずそれらの身になって見ようという衝動のようなものがある。一方的に観察するのではなく、相
手の側に立って、たとえば私が魚にすり代わって世界を見たいという衝動的な精神状況である。
謙虚で優しい思いやりの情である。だから私はいろいろなものに入り込み、私になる「どこにだ
つて私はいる」のだ。それはみすゞの謙虚さであり誠実さであり無垢な愛情なのだろう。
さらに、ここで、「お魚」の詩に戻ってみる。お魚の側に入ってみる。みすゞは「私」=魚にな
る。すると食べられるのは私である。つまり「お魚」は、「私が私を食べる」、そのような地獄絵の
ような図式が立ち上がってくる。読み手は無意識にそれを感じとってしまうので、感動・衝動は
深まって]いくのだ。そしてさらに奥行きは広がる。
■物質も動物もニンゲンもみんな同じ
金子みすゞの作品は何となく読んでしまいがちだが、注視していくと奇妙な世界がえてくる。
「お魚」以外の作品をみてみよう。たとえば「積つた雪」という作品がある。
積った雪
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。
下の雪
重かろな
何百人ものせてゐて。
金子みすゞは、ここでは、積った雪になって、事物を見、雪の心情になって寒さや重みを
感じとる。そのことで「重い」「寒い」という心情は私の心情となる。さらに「中の雪 さみしかろな
と何も見えないものの孤独感をうたっている。「雪」という物質が感じる孤独感、それも私の淋し
さなのだ。「孤独感」は、たった一人で今生に生まれ出て、たった一人で去って、そこからにじ
み出てくる実存的な精神性が生むものだと信じている。しかし、みすゞはそれは人間の驕りで
はないかと問いかけるのだ。さらによく知られた「私と小鳥と鈴と」をとりあげてみると、そのこと
がもっと明確になっていくだろう。
私と4小鳥と鈴と
私が両手をころげても、
お空はちつとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんないい。
この作品は「私と小鳥と鈴と」と三者を比較しているが、それらは私(人間)小鳥(動物)鈴(物質)
との比較だ。通常私たちが一般的に比較対象にするのは人間同士―たとえば大人と子供、鳥
同士―雀、カラス、鳩、乗り物同士―飛行機、車、船など、仲間や同種のものたちだ。なぜ異
種のものたちを同列に扱うのか。そこには物質や人間存在や動物たちを差別しない、鈴も小
鳥も人間も同様に重い存在だし同じ価値観をもっているという思想・概念を包容していたから
だろう。
ここでは動物も物質も同一線上に並び、それらはすでに物ではなく、私でもある。私が硝子
や時計になる。
私が雪になる、小鳥になる、魚になる。それはみすゞにとっては何ら奇妙なことでも非常識な
ことでもない。ここにはサイエンスも物理学も量子力学もない、それは雪のような純白の世界
なのだろうか。
大正から昭和にかけて金子みすゞはすでに非サイエンス詩学を構築していたのだ。
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